心の中はいつも独り
心の中で思っていることを、そっくりそのまま字に起こしてみようと思う。
ずばり、自分と同じような人間が、周りにいない。高校生なら高校生、大学生なら大学生と、等格の人間が周りにいるものだが、自分は通信制高校で、同じような人がいない。年齢や能力、目標や努力してきたことなど・・合致する人なんて、まあいないんだろうなあ。
自分が2人いればどれほど気が楽か。それも、成長する自分ではなく、停滞した自分自身と会話したい。自分の最大の理解者である自分と、完全な会話がしたい。
脳内で自問自答をすることはあるが、中で自分に答えを言ってくる野郎は正論ばかりで、弱虫だの情けないだの、自分がなにかミスをする度に言ってくる。人にはみんな経験があることだと思うが。自分を罵倒して、正論を投げかけてくるそいつを頭の中で何度も消そうとしたことがあるが、本来の自分自身は薄情な野郎で、かつ、やたらしぶとい。
お前、「そんなんで社会でやっていけるわけない」とか抜かすんだったら、テメェがやれ、この野郎。
そんなこんなで、自分は衣食住全てが揃って、親友もいるような恵まれた環境で、まだ理解者が欲しい、自分を受容してくれる存在がほしいと、15歳くらいの時から同じようなことで悩んでいるのだ。これほど滑稽で、幼稚な人間はいないだろう。まさに成長を放棄した愚者である。
社会には自分を受容してくれる人間なんていないことは分かっている。人と等格になりたいのであれば、その人並みの努力をする、そして、目標を持つことが重要なことも分かっている。力のない自分が、「受け入れてほしい」なんて言おうが、自己愛と怠惰でブクブク太った158cmの赤ん坊が手足をばたつかせて泣いているようなものだ。
しかし自分は、人に合わせることもできない。人並みの学識があるわけでもなく、普通の男性並みの体力があるわけでもなく(これはちょっとずつ付けていく所存ではあるが。)自分は常に、平均的な人からちょっと(1〜2年くらい)遅れている。しかも救い難いことに、今まで自己正当化と逃避を繰り返していた結果、それが自分のアイデンティティを構成する要素になってしまっている。はて、どうすればいいのか。自分がこの甘々な引きこもり生活で幼稚園児のブロック遊びのように積み立てた自我を、粉々に打ち砕いてしまうような出来事が、今後あるのだろうか。ないほうが嬉しいが、このままでは延々と悩みが続くのだろう。
まあ、お前はお前でいいじゃないかと常々思うが、それでも劣等感が付いて回る。こんなにも恵まれている人間が、まだまだお先真っ暗、八方塞がりである。人生は苦しい。なにか悩みを解決したら、次に新たな悩みがでてくる。それを覆い隠すために、さらに身体が悩みを起こす。でも、どんな人生も、苦しいものだと自覚できたことが、思春期時代の唯一の成長かもしれない。
格差
今日、地域の祭りがあって、かつての友人も出るようなのでこっそり見てきたのだが・・ひどく打ちのめされた気分です。
小学生の頃から、自分はなにかと挑戦というものをしてこなかった。
それによってできてきた小さな身体的・精神的格差が、
6年経って途方もないものに変わっていることに強いショックを受けた。
中学生時代の3年間はまだ「学校」の慣習があったとはいえ、
それ以降は殆どたまに夜に徘徊している怪しい引きこもり(肩書きは通信制高校生だが)といった生き方で、
まともに社会生活を送って、人に揉まれて成長してきた人間とはもう生きてる世界が違うんだなあと。
自分は、鏡に映る姿が自分の想像の姿といつも違っている。自分は18を超えて、少しはマシな人間になったと少しは思っているからだ。
しかし、現実にはくだらなそうな顔をした、影にへばりついているガムような人間しか映っていない。
ごまかしごまかし3年間過ごしてきた結果、毎回のように想像と現実のギャップに苦しめられるようになった。
いったいなにが違っていたのか。最初の話に戻るが、自分は挑戦してこなかったんじゃない。挑戦したいものがなかった。今もそうだ。なぜ自分はそうなんだろうか・・それを今後解き明かしていきたい。
対価
社会は基本的に、なにかしてもらおうと思うならそれなりの対価を支払わなきゃならない。
無条件で愛を与えてくれるのは親だけであって、それ以外の人間関係はすべて、親友や恋人、果ては結婚までなにかを相手に提供しなきゃ続かないと思う。
親友や恋人は、相手になにかしらの魅力(意識的にしろ無意識的にしろ)を提供しているわけだし、結婚はさらに生活力が付いて回る。
話を聞いてもらうだけのカウンセリングにも三千円かかるのが基本であって、大人はそれを受け入れて生活をしていますが、
まだまだ精神が発達途中だとそれがあんまり分からずに、私を愛してくれ〜とネットとかで叫びますが、まあそううまくいかないよね。
自分はそこまで馬鹿じゃないが、絶対的に等価交換が基本な社会で生きていけるか物凄く不安です。
つっても、社会に提供できる価値をふつうみんなは努力で作ってるのに、自分ときたらこうやって真昼間にスマホいじってるか三叉神経痛の痛みに悶えてるがそれくらいしかないもんね。
この不安感もその対価だと思えばある意味納得がいくかもしれない。
三叉神経痛
三叉神経痛にかかっています。
テグレトールを服用していますが、効果が切れるとすぐに発症し、ものすごい痛みです。
痛みの発作が怖くて過呼吸気味になるのでリーゼも服用しています。
三叉神経痛の原因は血管と神経の接触やストレス、体の歪み、果てはガンが原因なんてこともあるらしいのですが、
自分の場合はMRIを撮ったので、脳や神経に異常があるわけではありません。
自分は身体に非常に大きな歪みがあり、いまは治そうと努力してるのですが、それが原因の一部だと思います。
はたまた将来への不安のストレスかもしれません。メンタルが弱いのですぐに不安になります。しかし三叉神経痛も、痛すぎて嫌になる。助けてくれ〜と思うが、社会は厳しい。
通信制高校の内実[休み時間編]
前書いた記事でも触れましたが、通信制高校にももちろん昼休みがあって、
それがじつにじつに長く(1時間半くらい)
テストの日以外は非常に退屈なんです。
通信制高校には全日制高校の校舎を休日に貸してもらうという形のところもあり、
どこへ行くのも自由なので皆気ままに過ごしています
入学してしばらくすると教室は女子の溜まり場になっていて、
女が怖い自分は一目散に逃げ出し一目のつかないところで友達と飯を食べています
食堂がある場合もあり、そこで飯を食うこともできるし、
一目に付きたくねえって人は入っていい椅子置き場や
運動場に置いてあるテーブルで食うのがオススメです
しかしどこでなにを食おうが誰も自分に注目していないのが通信制高校なのです
高校に入れるのは基本的に学生時代か親になった時くらいですので
形だけでも学校を楽しむべく探検するのも面白いかもです
通信制高校の内実[人口比について]
今回は男女比やどういう層の人が来ているのかを書きます。
まず男女比ですが、うちの学校では女子が圧倒的に多いです。
どれくらいかというと、体育の時間に並んだ時、
男子の2倍以上の長さになっている、というレベルです。
あと、人をジロジロ見てるわけじゃないんですが、
男女ともにかっこいい/かわいい服装で来ている人も多いです。
自分はいつも親に買ってもらったのをそのまま着ていっているので、
ファッションなんかはよく分らないんですが・・
また、在籍者の年齢層やどういうカンジの人間なのか、を言うと、
まず学生・・中学生あがってすぐくる人が多いです。
通信制高校はだいたい試験はなく、面接だけなので、
その時に周りを見渡してみると制服で来ている人が多く居ました。
自分のように、数年なにもしてなくて、一念発起して入学、という人も多いです。
高齢者の方もそこそこいます。お年寄りはとにかく人にビビらない人が多く、
よく先生に質問をしたりして熱心に勉強されている印象です。
また、不登校の人も多いです。
全日制であれば1クラスに1人いればいるほうですが、
通信制でだいたいのスクーリングに出ていない、って人は
4人に1人くらいの割合でいるんじゃないでしょうか。
昼休み前にホームルーム(連絡をしたり書類を配ったりする時間)
があるのですが、椅子の半分以上が空いています。
学校に行けても、過呼吸気味になったり、
頭痛や腹痛に悩んでいる人もいると思います(自分です)
学校自体はいい環境なのですが、
自分は人がたくさんいる場所にいくのはかなりストレスなので、
自分も行く前日はなかなか渋ります。
スクーリングで必ずでないといけない回数は実はそんなになく、
毎回行かなくてもいいので、どうしてもしんどいときは休みます。
しかし行かなければ余計やる気をなくし、
ニートに逆戻りかも知れないので、
非常に不安ですが自分はやれるだけやってみたいと思います。