さなんさのブログ

平日は引きこもり生活をしています。

心の中はいつも独り

心の中で思っていることを、そっくりそのまま字に起こしてみようと思う。

ずばり、自分と同じような人間が、周りにいない。高校生なら高校生、大学生なら大学生と、等格の人間が周りにいるものだが、自分は通信制高校で、同じような人がいない。年齢や能力、目標や努力してきたことなど・・合致する人なんて、まあいないんだろうなあ。

自分が2人いればどれほど気が楽か。それも、成長する自分ではなく、停滞した自分自身と会話したい。自分の最大の理解者である自分と、完全な会話がしたい。

脳内で自問自答をすることはあるが、中で自分に答えを言ってくる野郎は正論ばかりで、弱虫だの情けないだの、自分がなにかミスをする度に言ってくる。人にはみんな経験があることだと思うが。自分を罵倒して、正論を投げかけてくるそいつを頭の中で何度も消そうとしたことがあるが、本来の自分自身は薄情な野郎で、かつ、やたらしぶとい。

お前、「そんなんで社会でやっていけるわけない」とか抜かすんだったら、テメェがやれ、この野郎。

そんなこんなで、自分は衣食住全てが揃って、親友もいるような恵まれた環境で、まだ理解者が欲しい、自分を受容してくれる存在がほしいと、15歳くらいの時から同じようなことで悩んでいるのだ。これほど滑稽で、幼稚な人間はいないだろう。まさに成長を放棄した愚者である。

社会には自分を受容してくれる人間なんていないことは分かっている。人と等格になりたいのであれば、その人並みの努力をする、そして、目標を持つことが重要なことも分かっている。力のない自分が、「受け入れてほしい」なんて言おうが、自己愛と怠惰でブクブク太った158cmの赤ん坊が手足をばたつかせて泣いているようなものだ。

しかし自分は、人に合わせることもできない。人並みの学識があるわけでもなく、普通の男性並みの体力があるわけでもなく(これはちょっとずつ付けていく所存ではあるが。)自分は常に、平均的な人からちょっと(1〜2年くらい)遅れている。しかも救い難いことに、今まで自己正当化と逃避を繰り返していた結果、それが自分のアイデンティティを構成する要素になってしまっている。はて、どうすればいいのか。自分がこの甘々な引きこもり生活で幼稚園児のブロック遊びのように積み立てた自我を、粉々に打ち砕いてしまうような出来事が、今後あるのだろうか。ないほうが嬉しいが、このままでは延々と悩みが続くのだろう。

まあ、お前はお前でいいじゃないかと常々思うが、それでも劣等感が付いて回る。こんなにも恵まれている人間が、まだまだお先真っ暗、八方塞がりである。人生は苦しい。なにか悩みを解決したら、次に新たな悩みがでてくる。それを覆い隠すために、さらに身体が悩みを起こす。でも、どんな人生も、苦しいものだと自覚できたことが、思春期時代の唯一の成長かもしれない。