さなんさのブログ

平日は引きこもり生活をしています。

 

ぼくはただ甘んじているだけです。体力も精神力も技力もないのはぼくの常ですが、なにもできないのは何にもしてこなかったからだけど、今からなにかできることを増やそうとしても 一歩を踏み出せないんです。勇気がない、臆病、無気力、心配性がその原因です。今の生活だけで自分の中では精一杯なんです。ずっと実家にいてご飯も作ってくれてネットもできます。とてもいい生活です。その中でぼくができることは、元気のいい時にたまに外に出て2〜3kmくらい散歩をする、学校のレポートをする、ペットの世話をする、ちょっと家事をする、それ以上のことはできません。ぼくの将来の目標はフリーターです。でも社会に出たらそれ以上のことをしなければならないのでどうにもならないし、とても怖いです。それにぼくのような人なんて通信制高校にも全く言っていいほどいません。積極的にカウンセリング集会に参加しているのですがいません。ぼくは全てにおいて劣等です。みんな普段の生活以上に努力しています。常に成長しています。ぼくは現状維持か、それを少しだけあげることしかしてこなかったし、していません。みんなが10歩進んでやっと1歩進んでいます。それ以上できません。19歳ですが、中身は中学生の不登校時代とほとんも変わっていません。友達もだんだん離れていくような気がします。寂しいです。友達関係を継続するにはついていく努力をしないといけないんでしょうか。こんなことを考えていたらもう疲れました。またなにもかも捨ててしまいたい。 中高一貫校を中退した時と同じように。そんなことを考えていると、苦しいし寂しいです。だから自傷をします。手が痛いと意識がそちらに行くのでつらいことを考えずに済むからです。でもしばらく経つと手の痛みも消えて、また悩み始めます。それの繰り返しです。繰り返すたびに暗い考えも自傷も酷くなっていきます。どうしようもない気がします。

 

カウンセリングの人には、こういう考えは一切じぶんの為にならず、事態を悪くするだけなので、起こったら、それをひとまず止めないといけないと言われます。そしてできることを少しずつやっていかなければいけないようです。でもこの考えを止めること自体ができません。自分を傷つける暗い思考の力が、止めようとする力よりも圧倒的に強いんです。

引きこもってるから暗い気持ちになるのか?

なんにもしてないときって決まって暗い気持ちになるよね。

 

んで外に出てみたら、まあちょっとダルいけどある程度気が楽になるね。

 

道をあるいてる制服の高校生とかみるともうダメな気分になるんだけど。

 

自分も当時の精神状態からして通信にしか行けなかったし、というか今でもたぶん全日いっても1年年上なんで孤立不可避だし、なにより金銭的な問題もあるし・・

 

あとたまに昼間にいるサラリーマンのおっさんかっけえな。社会と必死に戦ってはるんやろうなあ。いやなにしてるのか知らないけど。

 

まあとにかく、朝でも夜でも暗い気持ちになったら外にでてみてちょっと買い物にいったり音楽を聴きながらノったり(不審人物?)することがちょっと気分を晴らす方法になるのではないでしょうか。

 

あ、家にかえって数時間後また暗い気持ちになってることは多いのであしからず。

 

 

 

生きるのに苦しみたくない

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うわあああああああああああああああああああああああああああああああ

 

自分を絵で表現するとこういう感じになる。へたくそでスマンな。

 

本題ですが、ずばり生きるために苦しみたくねえ。ていうのを考えてるんですよ。無理だけど。

 

なんで生きるために苦しまなくちゃならないんですかね・・・宇宙の法則あったまきた(マジギレ)

 

あきらかに生きてると楽しいことより苦しいことのほうが多いよね。楽しいことに価値を置く自分としては至極納得いかない。

 

まあこうやって現状に対して怒っているっていうことが苦しみの根源だと冷静に考えればわかる。

 

社会に順応して、ある程度の不条理も割り切って生きれたら、こういう悩みもなくなるのか?

 

まあ自分を無理やり型にはめて生きるのはそれはそれで息苦しくて苦しいんだろうなあ。

 

だから人って家族を持って 家に帰って癒してもらおうとするんだろうか。

 

でも家族を持つためにもいろいろ苦労もあるからなあ・・

 

やっぱり生きてるだけで苦しいんすねえ。

 

「自殺」ってあるじゃない?

 

ぼくはソレには反対なんだけど、このクッソめんどくさくてしんどいしやたら性格の悪いヤツもいる人間社会の中で苦しんで生きるよりは・・っていう気持ちはよくわかるよ。

 

でも自分としてはやっぱり 自殺もしたくねえし 努力もしたくない。というか、必要以上に苦しみたくない。最低限の努力と、最低限の生活で、プラマイゼロ。が一番いいおもうんだけど。

 

でもなんだかなあ、人間完璧じゃないから、それでも(努力してないくせに)成功している人間へのやっかみとかあるんだろうなあ 結局そうやってプラマイゼロな生活を送ろうとしても、苦しみのほうが過剰なのかな。 

努力する才能など ない!

こんばんは。昨日誕生日を迎えました、いわゆる「努力できない」人間です。拙い文章をお許しください。

 

私は今日も、夜になるとぱっと憂鬱になり、昼間は一日中考えていた、パソコンゲームのことが一気に吹っ飛んで、人生の苦しさについて考えることになる。

 

私は15歳の時に、普通の日本人の「人生のレール」をぶち切った。「1年のニート生活の後、通信制高校に4年在籍、卒業後は自分にできそうな短時間労働を少しだけやる」、というのが私が考えついた人生の新しいレールなのだ。

 

しかし、思うところは勿論ある。私が高校に進学せず、引きこもりを選んだ時には、世間からの疎外感と孤独感、そして、普通の人間から蔑視されているという恐怖と憎悪(危険人物?)によって、電車の中で泣いてしまった。

 

今ではそこまで激情にはしることはないのだが、孤独感や疎外感は今でも、影のように必ず付きまとってくる。

 

そんなとき、スマートフォンを取り出し、ネットに書き込んでいる同じような人間を探す。私の悪い癖だ。「努力できない人」と検索すれば、出てくる出てくる。「努力は才能があってできるもので、才能のない自分は努力できないんだ。」というのが。

 

私にも、そう思っていた時があった。いくら時間が経っても、努力できない人間は、一生できないって。でも時間がたつにつれ、そう思えなくなってきた。

 

才能っていいかのは、その人だけにある特別なもの、ってことですよね。でも、世の中見渡したら、みんな自分のため、将来のため、または家族のために、息を吐くように努力してる。特別じゃない才能なんて、才能とは呼べないと、私は思ってしまうようになった。

 

強いて言葉にするなら、努力する才能がないんじゃなくて、今のところ、努力する資質がないんだろう。自分も含めて。「才能がない」よりも、よっぽど悪いですね(笑)

 

他のサイトを回ってみると、今度は成功者の体験談のようなものが出てくる。チラリと見たそのブログには、「努力は、努力しなければならない環境に身を置かなければ、自発的にすることはできない」と書いてあった。まさにその通りだ。

 

私は確かに、一般人よりグレードの低い努力をして生きている。でも、何度か病気にもなったし、苦しいことや悲しいこともある。今でも苦しい。

 

でも、一般的な生活をしている人から見ればラクに見えるだろうし、自分も「いざ一般人と同じ生活をすれば、もっと苦しいだろう」と考えると、なかなか一歩なんて踏み出せるものじゃない。

 

私はあと1年で通信制高校を卒業するが、短時間のバイトでも、社会に出て働くのが恐ろしい。怖くて怖くてたまらない。1年前は、暇な時間は早く過ぎ去ってくれと思うばかりだが、今は時間がもっとゆっくりになってほしいと身勝手に思っている。

 

やはり、私は臆病だから、切羽詰まらないと社会に飛び込む勇気なんて持てないと思う。でも、その時が来るのが怖くて、死にたい、生きていたくないと思ったとしても、人は生きることから逃れられない。落ち込んでも腹は減るし、眠くもなる。

 

だから、とりあえず生きて、いつか勇気が少しでも出たら、その時に新しいことに挑戦しようと思う。これは私の才能のせいではなく、ただ、まだ時期が早いだけなのだ。誰に恥じることもない。これが私の選択なのだから。